Nunozaiku kokoro
つるし飾りの歴史
伊豆、稲取に残る風習
つるし飾りの風習は、江戸時代後期の頃から現在まで百年以上続いています。
これは、明治生まれのお祖母さんから「子供の頃からつるし飾りがあった。」と伝えれれていることによります。
女の子の健やかな成長を願って作られ、その意味や決まりごとを守りながら稲取独自の細工として、現在に受け継がれたのです。
知られるようになったきっかけ
昭和30年代には数々見られたつるし飾りも、日本の高度成長とともに家庭で飾られることが少なくなってしまったようです。
それを地元の稲取婦人会が婦人会クラブの一環として平成5年、6年度に復刻。町民文化祭に展示しました。
その後「雛の会」に受け継がれ、稲取旅館組合主催のイベントとして今日にいたっております。
※稲取温泉協同旅館組合パンフレットより
わたしの考察
現在の様なひな飾り(段飾りや平飾りの雛人形)が庶民に広がったのは明治以降とされています。庶民に広がったと言ってもその庶民は裕福な一部の国民であったと思われます。本当の意味で、ひな飾りが庶民に広がったのは昭和の時代になってからで、実際には終戦後日本の高度成長と共に各家庭に広がっていったと思われます。
このような時代背景の中、稲取のつるし飾りが雛飾りとして代々受け継がれ、今日に至ったのではないでしょうか。なぜ稲取かは言い伝え(前述の稲取温泉協同旅館組合パンフレット等)より察するしか有りませんが、この風習が、日本人として後世に残していきたい素敵な風習であることには違い有りません。また、私がつるし飾りの教室を開くきっかけとなったことでも有ります。
布細工こころのつるし飾り
布細工こころのつるし飾りは
この素敵な風習をもとに、布細工こころのコンセプトでレッスン、作成しています。
●和の文化を大切にします。
●見けけ派手さは求めません。
●綺麗な作品を作ることが基本です。
詳しくはこちらから
謂れ(いわれ)
「桃飾り」とも呼ばれそれぞれの謂れや言い伝えがあります。
子供の成長を祝う親の深い愛情が伺えます。
以下に人形と謂れの一部をご説明いたします。
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